デイリーポータルZで、本を紹介しました。
(DPZで記事を書くのはしばらくお休みなのですが、休止前にトーク収録したものが記事になりました。興味関心領域が似通ったデイリーライターのお二人と、わちゃわちゃと本を紹介しあうのはたいへん楽しかったです)
これは文庫本の背表紙にある解説。
生涯最後の旅と予感している夫・武田泰淳とその友人、竹内好とのロシア旅行。星に驚く犬のような心と天真爛漫な目を以て、旅中の出来事、風物、そして二人の文学者の旅の肖像を、克明に、伸びやかに綴った紀行。
星に驚く犬のような心と天真爛漫な目ときたか。同じことかもしれないけど、この紀行文には”ウソ”がなさそうのがすごいなと思った。
自分でも旅行記を書くからこそ思うのですが、旅行記に”ウソ”がないというのは本当にむずかしい。旅行では新しいことが目の前でつぎつぎに発生するので、その一瞬で感じたことをそのまま素直に書くような隙がない。あとから振り返ってみて、別の出来事と関連付けたり、意味を解釈しなおしたりということが行われるのが当たり前だ。ふつうそれは編集と呼ばれる作業なので、ウソという表現は正しくないのだけど、ともかく文章をある程度まとめて書こうと思えば、意図したものか無意識かにかかわらず、脚色が入り込んでしまうものだ。
『犬が星見た』は、著者本人の言葉では旅行中の「走り書き」の積み重ねだ。百合子さんが夫から「つれて行ってやるんだからな。日記をつけるのだぞ」と命じられるがまま、目にしたもの、心に残ったものだけを淡々と綴ったものだ。あとから雑誌に連載する際に手が入っているとは思うけど、原初の走り書きのままのストレートな正直さが、この作品の背骨だと思う。
「百合子。面白いか?嬉しいか?」ビールを飲みながら主人が訊く。
「面白くも嬉しくもまだない。だんだん嬉しくなると思う」と答える。
(9ページ)
旅行初日。上記は横浜からシベリアに向かう船上での夫婦の会話である。こんなんリアルな会話で言えるか?と思うし、しかもそれがそのまま文章として残って書籍になっているなんて奇跡じゃなかろか。これ旅行記なのに。と笑ってしまった。
・
・
・
DPZの記事でもふれたとおり、見どころだらけのこの旅行記の中でも、おれの心を惹きつけてやまない登場人物はやはり、銭高老人である。日本人旅行団のアイドルであり、一級品の問題児でもある。
銭高老人は、ガイドの話をまるで聞いていない。首から吊るした双眼鏡で、そっぽを眺めている。この土地でとれる石を切り出して積んだという床や壁に、眼鏡をかけた顔をくっつけて、撫でたりたたいたりしている。ときどき大きなおならをしている。
(159ページ、トビリシ)
さきほど著者の百合子さんを天真爛漫と評する一文を紹介したが、この四字熟語は銭高老人にこそ譲りたい。このご老人は家族の大反対を押し切ってまで、たった一人で旅行団に参加している。団体旅行なのにあくまで自分のペースで旅を謳歌し、見聞きしたものにはバチバチの泉州方言で何か一言いわずにはいられない性分だ。
「こんなところに大きな町作りよって―――えらい国じゃあ。ロッシャはえらい国じゃあ」
「あっちの窓から見ていたら、貨物列車が長いんじゃあ。灯をつけて走っていくんじゃあ、長おて、長おて。ロッシャはたいしたもんじゃあ。わしゃ、よう知っとる。前からよう知っとった。わしゃ、よう知っとったんじゃ。ロッシャはえらい国じゃあ」
(58ページ、ノボシビルスク)
「汽車が走っとるわ。汽車が走っとるわ。えらいもんや。えらいもんや。こない仰山の砂ん中を。よう走っとる。よう走っとる。ロッシャはたいしたもんや」
(124ページ、タシケント上空)
「えらいこっちゃ。この国は。この国の女ごはよう働きまっせ。ロッシャはたいした国や」
(134ページ、タシケント)
「たいしたもんじゃ」と「前から知っとった」は銭高老人の持ちネタ。繰り返し繰り返し、20回くらい作中に登場する。百合子さんは終始、冷静というか冷淡といえるのほどの態度で旅行先の様子を描写するのだけど、この老人は、これはと思ったものには大袈裟なほどに感激する。このちぐはぐな二人のコントラストが作品に絶妙なリズムを生む。もはや銭高老人は本作の主人公の一人である。
「おいおい。タバコをくれ」銭高老人は女給仕に平然と日本語で注文し、まるで違うものを出された。水だった。
「ちがうがなあ。タバコじゃあ」老人は、また日本語で、情けなさそうに怒った。
(57ページ、ノボシビルスク)
情けなさそうに怒るという表現が、よい。念ずれば通ず。本気で伝えればロシア語でも日本語でも関係ないとでもいうような、老人のすごみを感じる。老人の「念」は団体旅行の仲間内にも容赦なく飛んで行く。
飛行機が動きはじめて、ほんの少ししか経たないのに、勿論、禁煙ランプがはっきりついているのに「吸いたい。吸いたい。わしゃ、吸いたい」と騒ぎだす。(中略)
「山口君。もう吸うてもかまへんやろ。吸うてもええかどうか、きいてくれへんかい」とせがむ。
(83ページ、タシケント上空)
この山口君というのは旅行団のツアーガイドである。おじいちゃんに無理難題ばかりを言われるかわいそうな役どころである。
老人は、大声で、滅茶苦茶に怒りだした。
「山口君。山口君。山口はどこじゃ。山口君をよんでくれ。山口君、タクシーをよばんかい。山口をよばんかい。山口に乗る!山口をよばんかい。タクシーに乗る!」
(121ページ、ブハラ)
銭高老人の狂気が感じられる作中屈指の好シーン。ブハラの酷暑にやられておじいさんの我慢は限界に至る。「山口に乗る(迫真)」。この発言をそのまま書き写す百合子さんはまことにすばらしい。
終始キレ散らかしているだけではただのイヤな爺さんだけど、銭高老人は喜怒哀楽のすべてが弾け飛んでいる。齢80歳にして、3歳児のように瑞々しい感情が発露する。
「しゃあ……」老人がおどろきの声をあげた。
(90ページ、ブハラ)
博物館でネアンデルタール人の模型をみた老人の魂のひとこと。「しゃあ……」は流石に銭高老人がすぎる。この感嘆詞を読んだとき、会ったことも聞いたこともない銭高氏の声で「しゃあ……」が聞こえてきた気さえする。
「はっはーん。こりゃ愉快じゃ。あーあっ、おもしろ。あーあっ、おもしろ」
(200ページ、レニングラード)
楽しいときは徹底的に笑い倒す。あーあっ、おもしろって2回も言うなんてよっぽどのことだけど、もう本当にこのとおり言ったんだろうなと思う。ちなみに何がそんなに愉快なのかというと、人の遅刻を笑っているのである。たぶん悪気はない。
うしろ手を組んで、うつ向き加減に歩きながら、老人は一人呟き続けている。
「ああーっ、おもしろ。ああーっ、おもしろ」
呟きのようにも悲鳴のようにも聞こえる。私はあたりをみまわす。おかしなことはどこにも起こっている気配はない。
(68ページ、ノボシビルスク)
なんか急にホラー味が…。
「銭高さんは、大阪では誰からも叱られないで暮らしておられるんでしょうね。ロシアに来てから毎日叱られ通しね」
「ほんま。あなたのおっしゃる通り。わし、大阪におったら、誰も何も言わんがな。この国に来て、ほんまのこと言われて叱られ通しやがな。あっはあ、おもしろ。あーあッ、おもしろ。」
(212ページ、レニングラード)
ここで銭高老人の素性がすこしだけ明らかにされる。
「戦争前は、大阪では大名の暮しといわれる暮しをされた御方です。(後略)」
(82ページ)
老人は関西の土木建築会社の会長さんなのだそうだ。
(68ページ)
姓が銭高で土木といったらもう…ああ、これはもうめちゃくちゃえらい人だ。銭高老人はえらい人じゃ。わしゃ知らんかった。道理で行った先々で、建築現場に執着するわけである。
「見てみなはれ。壁も塀も門も、よおく見ると、皆、少しずつ、かしいでおりますがな。うまくかしいで建ててありますがな。ここは地盤がえろうやわらかいんじゃ。えらいもんでっせ。地震を見込んで、最初から、かしいで建ててありますのや(後略)」(122ページ、ブハラ)
銭高老人は足場を叩いて検分し「木の使い方が乱雑や。足場のかけ方がヘタや」と言う。
(160ページ、トビリシ)
社会的地位がありながら、権威を振りかざすようなところがないのもチャーミングなところである。わがままはいうが、いじわるではない。偉ぶるんだけど、憎めない。
「銭高氏よりの伝言です。『わしばかりええ車に乗っていては、なんとしても相済まん。ご婦人方をお乗せするように。わしは大きい車にかわる』言わはりますねん」
(108ページ、ブハラ)
老人は腰かけさせられたまま、きゅうりを齧りながらバザールの門を出て行く少年に、上機嫌の声をかける。
「あ!!御馳走様(ごっつぉさん)、御馳走様(ごっつぉさん)」
(87ページ、ブハラ)
「やあ、めでたい。めでたい。あんたも長生きをされて。おめでとうさん。おめでとうさん」と、そればかり、震える声でくり返していた。老主人は泣いていなかったが、銭高老人の眼から、どんどん涙が流れていた。
(162ページ、トビリシ)
そしてたまに、急に魂が飛んでいったぬけがらのようになってしまう銭高老人。
遅れまいと小走りに歩いていた老人がふっと立ちどまった。
「わし、なんでここにいんならんのやろ」老人のしんからのひとりごと。
(91ページ、サマルカンド)
銭高老人はチャイを飲みながら「わし、なんで、ここにおるんやろ」ひとりごとを言っていた。
(101ページ、ブハラ)
「わし、いつからここにおるんやろ。なんでここにおるんやろ」銭高老人は正気に返ったように呟いている。
(104ページ、ブハラ)
老人は残念ながら旅の最終盤、モスクワにて周囲から体力を危ぶまれて残りの旅程を断念、途中帰国をすることになる。
「大阪へ帰ったら、1ヵ月ぐらいは、うとうとねとりますわ。ロッシャの夢でもみとりますわ。中央アジアは暑うおましたなあ。暑うて暑うてなあ」
(264ページ、モスクワ)
竹内さんはひとり感服したあと、「たいしたもんじゃ。たいしたもんじゃ」と銭高老人の抑揚をそっくり真似てつけ加えた。いままで眠たげで、ろくに返事もしていなかった主人が顔を上げて、「わし、よう知っとった。前からよう知っとった」と負けずに言った。
モスクワを発った飛行機の中から、主人は銭高老人になり代わっていた。早く銭高老人になり代わった方が勝だ。
(281ページと283ページ モスクワ上空)
ここは作中でも一番といっていいくらい本当に大好きなシーンで、銭高老人が一足先に帰国したあと、仲間内で老人をいじくっている。それだけみんな銭高老人のことが大好きだったのだ。
この世界において、銭高老人になることは、勝ちなのだ。