キリル世界のゴミ、ぜんぶ持ち帰る

海外旅行好きの界隈において、旅の記録をどう残すかというのは議論の尽きない課題である。写真を撮るとか文章に残すとかさまざまな手法が考えられるが、一つのソリューションとして我が家には、旅行中に発生するアレコレの紙類を貼り付けているノートがある。

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https://dailyportalz.jp/kiji/gomi-note_saiko

(この記事は、デイリーポータルZの17周年を祝して開催中の、名作記事カバー企画に捧げるものです)

 

貼り付けてあるのはレシートとかバスのチケットとか瓶ビールのラベルとか。要するに旅行先の"ゴミ"でつくるスクラップブックである。

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たしかにこれらはゴミの寄せ集めには違いないのだが、それでも折に触れて見返してしまう不思議な魅力がある。たぶん、ここに貼ってあるものはぜんぶ、かつて旅先に実在していて、飛行機で一緒に帰ってきたリアルなモノだからだ。写真や文章で記録に残す行為はいかに上手でも、あくまで制作者のフィルターを通した二次的なもの。一方で現地から持ち帰ったゴミは確かにゴミでも、かつて旅の一部、旅そのものだったゴミなのだ。

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さて。このノートをバラバラめくっていて気づいたことがある。なんかやたらと存在感を放つゴミの一群があるのだ。それはロシアを中心とした、キリル文字の文化圏から持ち帰ってきたゴミたちである。

 

キリル文字の妖しい魅力

キリル文字というと「Д,Ж,Б」などよく顔文字に使われるアレである。中にはラテン文字(A,B,C...)に似た文字もあるが、読み方がまったく違う場合も多く、もはや暗号のようである。

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もちろん旅をする上では、厄介な存在である。田舎のトイレで切羽詰まっているときに、入り口に手書きで「М」「Ж」とだけ書いてありどっちが男性なんだと崩れ落ちたこともある。だが読めないからこその楽しみもある。限られた情報量のなかで嗅覚を研ぎ澄まし、窮地を乗り越えていくのは旅の醍醐味の一つだ。もちろんその結果として反対向きの電車に乗った経験は何度となくあるが。

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適度な不便さは、旅を楽しくすると俺は思っている。むしろこの読めそうで読めない感じが、自分の知らないパラレルワールドに迷い込んだようで、強烈な旅情を演出してくれる。かっこよくいえばキリル文字が、旅が面白くなる魔法をかけてくれるのだ。

f:id:nadegata226:20191026150403j:imageロシア・イルクーツク。よくあるヨーロッパの街並みなのに看板が読めない。左に曲がれば魔法学校とかあったりしないかな。

 

はるばるそんな地域から持ち帰ってきたゴミたちが、妖しい魅力を放つのは当然である。厳選したキリル世界のゴミをご紹介させていただこう。

 

 

旧共産圏、独特の書類文化

そもそもの話。キリル世界では他の地域よりも余計に紙ゴミをもらうことが多い気がする。例えばこの、悪名高いレギストラーツィア。

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外国人に対して滞在中にどこに泊まっていたのかを証明させる書類で、出国時にこれがないとたいへんなことになる(らしい)。旅行者に厳しかったソビエト時代の遺物らしく、最近はルールが緩和されているとも聞くが、一部旧ソ連圏には残る。

 

普通なら小さな紙切れで済むところが、やたらとかっちりした書類が発行されるというケースもよく見られる。

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古めかしい紙にいかついキリル文字。それだけで何か重要な許可証をもらったような気分になる。だがなんのことはない、ウズベキスタン・ブハラの博物館の領収書である。

 

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「道中で特別な便宜を図ってもらえるよう関係の諸官に宛てた親書」みたいな雰囲気を漂わせる、ロシア・ウラジオストクのタクシー支払い証明書。便宜どころか「よくわかんないからこのへんで」とへんなところで降ろされた。

 

それから、やたらとでかいハンコがいたるところに押されているのも、旧共産圏の書類文化を象徴しているようで面白い。

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ロシアのレギストラーツィア。

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モンゴル・ウランバートルのバス。

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ロシア・ハバロフスクのホテル。
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ロシア・ウラジオストクの封筒。

だいたいみんな「ッダーーーン!」と元気いっぱいにハンコを押してくれる。かっこいいハンコがあれば、紙ゴミの魅力は3割増だ。

 

さてここまでにすでにいろんな国名が出てきたことからわかるように、キリル文字の文化圏は意外と広い。源流はギリシャ文字だし、キリル発祥の地は東欧のブルガリアと言われている。キリル文字=ロシア語ではないのだ。まだまだ各国のユニークな紙ゴミは続く。

 

レトロでクールな市民の足

旅先ではタクシーも多用するが、機会があれば一度は公共交通を使うようにしている。乗車ルールが不明瞭で度胸がいるが、そのぶん乗り物に乗ること自体がアトラクションになるし、何より切符などの貴重な紙ゴミが手に入る。キリル世界では車両そのものもレトロでかっこいいが、乗り物系ゴミも趣があっていいぞ。

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ロシア・ハバロフスクのバスチケット。ぺらぺらのわら半紙にいかにも無機質な朱色の印刷。バスにはたいてい不機嫌な顔をした集金係が乗っている。乗車すると混み合うなかをぐいぐいと近づいてきて、きっちりと数十円の運賃を徴収して無表情で去っていく。べりっと無造作にちぎった跡が生々しく残るこのチケットは、その一連の文化を有形にする"一級品のゴミ"である。

 

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これはブルガリア・ソフィアを走るトラムのチケット。オールドファッションな雰囲気を残しながら、ロシアのバスにくらべて紙もしっかりしているし、洗練されている。ただその代わり、トラムそのものは期待を裏切らずボロい。

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重い雲、古いアパート、そしてボロいトラム。いわゆる"ソビエトみ"の強い写真である。

 

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一転して急にハイセンスなデザインのこちらは、ロシア・モスクワの地下鉄のチケット。しかもかなりしっかりした厚紙で、金がかかってそうなのに、なぜか使い捨て。おかげでこんなにかっこいいゴミがたくさん手に入ってうれしい。

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Suicaの上からパスケースにいれれば、日本の地下鉄でもロシア気分が味わえるお得なゴミだ。

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ウズベキスタンタシュケントの地下鉄はジェトンと呼ばれるプラスチックコインで入場する。ちなみにどちらの国でも地下鉄の構内は、歴史の厚みを感じさせる美しさだ。個人的に一押しの観光スポットである。

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長距離移動のゴミはでかい

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キリル世界で憧れの乗り物No.1といえばご存知、世界最長を誇るロシアのシベリア鉄道である。eチケットながら、大判で情報量が多くて嬉しい。しかも英露併記なのでちゃんと意味もわかる。

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f:id:nadegata226:20191026145509j:image移動時間が長いので、車内で何度も読み返した思い出深いゴミだ。モスクワから4泊5日、車内に缶詰で寝正月を過ごした記録はまたいつかまとめて記事にしたい。

 

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同様の長距離寝台列車旧ソ連各地に残っていて、ウズベキスタンではこんなチケットを手に入れた。日本にいると、たまに新幹線のチケットを手に取るとでかいなと感じるが、これはさらにその4倍くらいある。旅行中は邪魔くさいんだけど、旅の思い出としてはこのくらい大きいほうがありがたみがある。

 

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カザフスタンのアスタナ航空。ロシア系の航空会社でもそうなのだが、飛行機が着陸すると乗客たちが一斉に拍手する謎の習慣がある。やはり昔は結構な割合で堕ちていたとかいう背景があるのだろうか…。ちなみに機内や空港は撮影禁止のことが多く、記録のためにゴミを持ち帰る意義はことさら大きい。

 

 

ビールはローカル文化の象徴

むかしから、旅と酒は切っても切れない関係にある。酒は現地の習俗の映し鏡であり、酒場に行かずして訪ねた街を語ることはできない。なかでもビールはもっともワールドワイドなアルコール飲料である一方で、地域ごとの嗜好にあわせたローカル性も併せ持つ。国を知りたければ、その地のビールを飲み、そしてラベルを持ち帰るべきなのだ。

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キリル世界のNo.1ブランドはやはりロシアのバルチカ(左上)。シンプルながら力強さを感じるのは、やはり見慣れない文字のせいか。

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総じて、味もラベルも質実剛健なビールという印象である。しかしロシアビール、よく見ると少し意外なことに、全体的にアルコール度数が低めだ。3.6%や4.0%なんて日本でなかなか見ない。「酒なんて酔えればいい、工業用アルコールを持ってこい」なイメージを勝手に抱いていたが、意外に繊細なのかもしれない。

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繊細といえば、ブルガリアのレトロかっこいいビールは、4.95%と度数がやたらと細かい。なんなんだ。どうしても5%超えたくないのか。それはさておきシビれるデザインである。こちらを拒絶するようなタイポグラフィの堅さと、いっさい媚びのない色遣い。一番下に小麦の図柄がなければ工業製品のラベルといっても通じそうだ。しかし実は、これでなかなかおいしいのだ。

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ゴミを持って帰れなかったのが残念だが、ウズベキスタンサマルカンドではなぜか10%くらいのハイアルコールビールが市場を席巻している。宿泊先で地元の人にぐいぐいと勧められてノックアウト寸前になった。ちなみにウズベキスタンではソ連時代を生きた年配者は酒を飲むが、独立後イスラム教に回帰して以降の若者はあまり酒を飲まないという世代間ギャップがあるらしい。

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余談ながら、ぜひ日本にも導入してほしいのがロシアのビール充填マシーン。好きな銘柄を選ぶと、店員さんがペットボトルに充填してくれる。当時、500円くらいで2リットル詰めてくれたような気がする。最高としか言いようがない。

 

たべものゴミは緊張感が増す

最後にまとめて食品関係のゴミ。旅先ではそもそも口に入るものにとにかく気を使うが、キリル文字は得もいわれぬ緊張感を演出してくれる。

 

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ロシア・モスクワ。安心のグローバルブランド「クノール」と、素性の知れないキリル文字の共演。結局キリルの不安さが勝ち、未開封のまま帰国、そのまま賞味期限を切らしてゴミになってしまった。ちなみに中身はかの有名なロシア料理、ボルシチ

 

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ブルガリア・ソフィア。牛だからミルクかな、甘いお菓子だなと思ったらやはりキャラメル。ゆるくてかわいいんだけど、レトロなフォントにわずかな緊張感が漂う。

 

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モンゴル・ハラホリン。文字が読めず写真もなく、缶詰で中身も見えないとなれば完全にギャンブル。中央の青い缶詰があまりにかっこいいのでジャケ買いしたのだが、空港で没収されてしまい幻のゴミに。欲しかったな、このラベル。


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別の意味で緊張感があるロシア・ハバロフスクのチョコレート。商品名はサハリン。甘いチョコレートにも、祖国愛である。

 

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ウズベキスタン・ブハラのお茶。ウズベキスタンでは緑茶が好まれ、とにかくたくさんお茶を飲む。象のイラストがゆるかわなのに、なんでこのキリルはこんなにアグレッシブなデザインなんだろう。ちなみにパッケージの95と110はなんの数字かなと思ったら「特に意味はない」とのことだった。

 

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モンゴル・ウランバートルのチョコレート。これはかわいい!5枚ください!と思ったのだが、よく見れば英語。なんともったいない。観光客向けということなのだろうけど、モンゴル文字キリル文字だったなら俺が10枚は買うのだが。

 

 

おまけ:かんたんキリル文字講座

いかがだっただろうか。ゴミの話しかしてないくせに恐縮であるが、キリル世界の魅力が少しでも伝わっていれば幸いである。

最後に超簡単なキリル文字講座*1を少しだけ。俺はキリル世界の言葉はしゃべれないし単語もほとんどしらないが、旅を重ねるうちに文字だけは覚えたのだ。例えば、キリル文字のなかにはラテン文字によく似た字形のやつらがいるが、

Н→N

Х→H

Р→R

С→S

И→I

У→U

という対応になっている。これだけ覚えておけば、НИСИ ХИРОСИ(西 浩志)さんは自分の名前をキリルで書くことができる。さらに、好きな古道具を聞かれればИсиусу(石臼)と答えることが可能だし、もし万が一、日本語のフレーズを一つ教えてくれと言われたら、Хунсуи ни сири(噴水に尻)と自信を持って書ける。

加えていくつか頻出の文字を覚えておけば、もうバッチリ。地名がなんとなく読めるようになるので、バスや電車の行き先がわかる。さらにресторан(レストラン)やаэропорт(アエロポルト、空港)といった単語が読めるようになり、ずいぶん旅を助けてくれる知識になる。

 

丸腰でキリル世界に飛び込むのもスリリングでいいが、多少なりとも手がかりがあると、パラレルワールドを読み解いていく楽しみはぐっと増えることだろう。

 

 

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旅の指さし会話帳26 ロシア (旅の指さし会話帳シリーズ)

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*1:言語によって微妙に使い方が違うらしいが、ひとまずロシア語の場合