屋久島のベストシーズンはいつなのか 後編
もしお時間が許せば、前編からどうぞ。
「暗闇の山中を、明かり一つで歩いた経験は?」
真冬の午前五時。屋久島の山中。縄文杉へと続くトロッコ道。前を照らすのはヘッドライトの明かりのみ。出発地点には意外とたくさん人がいるなと思ったが、15分も自分のペースで歩けば、もう視界には誰もいない。暗い。寒い。怖い。暗い。むかし木材を運び出すために整備されたレールの上を歩く。足元の人工物だけが心の支えだ。
トロッコ道は、小川を越える橋にもなっている。手すりはない。
高いところはキライなんだよ。
7時半ころ、ようやく空が明るくなる。同時に、平坦なトロッコ道が終わり、ここからは雪道を登る。
簡易スパイクをはいて、ずんずん進む。
巨大切株の中から空を伺う。
整備されてはいるが、なかなか急坂も多い。
うお、かっこいい。夫婦杉。
ついた。
普段は混み合うであろう、縄文杉を見るためのウッドデッキ。先客はおじさんが一人だけ。いろんな角度から縄文杉を眺め放題。これはぜいたくな時間だ。
見終わればさっさと帰る。縄文杉は往復10時間の行程だ。歩くのに飽きてきて、誰もいない道をざくざくざくと大股で歩く。
シュゴー。エネルギー切れの体に甘いカフェオレが沁み渡る。
14時前にバス停につく。予定より一つ早いバスに乗って宿に帰る。おかあさんが料理の仕込みをするところをカウンターから眺める。オーブンがたまに蒸気を吹き出して、ブェー!!とへんな音を立てるのを笑って見ていた。
お腹が減ったので、早目にご飯にしてもらう。相変わらず、品数が多い。他の宿泊客と、トレッキングの情報交換して、ハートランドを飲んだらすぐ眠くなった。
翌朝。
さて、屋久島の名所はまだまだたくさんある。ヤクスギランドは隠れた名所と聞く。てごわいモッチョム岳に挑むという手もある。だけど今日はやめた。せっかく屋久島まで来てもったいないけど、何もしない。今日は大晦日なのだ。
そのかわり、空港近くにある温泉まで2時間ほどゆっくり歩いていく。途中、幅の狭い川がいきなり海に注ぐような景色があって、島だなと思った。案の定、風呂は貸切状態だった。ヒノキの大きな露天風呂を独り占め。誰も入ってこない。ぬるめの湯が心地よく、たまに飛行機の発着音を聞きながら、1時間半くらいゆっくりとつかっていた。昨日、一昨日の疲れが抜けていく。
昼飯は屋久島らしさとは無縁のカツ丼。
宿に戻り、居間でのんびりしていたら、スイスから来た人がおしゃれなものをくれた。体感的には、いまこの島にいる3人に1人は外国人。
今日の夕飯も、もちろん宿で食べる。豪華だ…!
「年末年始に旅行してるってことは、実家に帰らないんでしょ?一日早いけどおせち風に盛り付けといたから」とおかあさん。
「さあさあ、今晩は特別に3種類の焼酎を開けるよ。飲み比べしてね」とおとうさん。それは、あなたが飲みたいんですね。ささやかな宴会が始まる。
山で食べなかったチキンラーメンで、年越しそばにする。ほかの宿泊客たちは、町まで降りて、神社の奉納太鼓を見にいくらしい。誘ってもらったけど、いい心持ちでもう歩き回りたくはない。少し寂しいけど、おやすみ。よいお年を。
元旦。そして滞在最終日。
あけましておめでとう。おとうさんの車で、宿泊客みんなで、港まで初日の出を見にいく。
最後の朝飯まできっちりうまい。
「屋久島に一度来た人はね、必ずまた帰ってきてしまうんだよ」と去り際におとうさん。そういうものなのだろうか。俺は考え込む。
小さな空港で、愛想という概念を忘れてしまったおばさん相手にトビウオ丼を注文する。そしてまた考える。屋久島は素晴らしいところであった。滞在中は常に充実していたし、自信を持って人におすすめもできる。ただ何というか、俺はやりきった感がある。この島で何かを我慢をしたり、諦めたり。譲り合いをしたり、順番待ちをしたり。そういったことからとにかく無縁であった。一度屋久島に来た人がまた来たいと思う気持ちは、少なからず満たされなさからくるものではないだろうか。その点俺は、何かをやり残したという感じがまるでしない。もちろん本当にいい季節の屋久島をいつか見てみたいという気持ちはあるけど。
ガイドブックによれば、屋久島は世界屈指の自然遺産の島。春は新緑がまぶしい。夏は海や川でも遊べる。秋は紅葉。あと冬は、あんまり人がいなくてちょっとぜいたくな気分です。
おとうさんおかあさんの宿はこちら。