迷子のゲームソフトを案ずる国
金曜日。日経新聞に気になる見出しがあった。
「迷子」ゲーム 持ち主やーい
記事の大筋はこうだ。関 純治さんはファミコンソフトの収集家。かつて全ソフトコンプリートをめざしていたが、お金さえかければそのうち達成できてしまう将来が見えてしまう。そんなときに出会ったのが、手書きの名前入りのカセット。これが"一点モノ"の宝物であることに気づき収集を始める。現在は1000本近くを所蔵し、HPで情報を公開。本来の持ち主が現れれば返還する活動を展開している。
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この記事に俺はひっそりと静かな感動を覚えた。
昔、友だちの家に遊びにいったら確かによくあった。「まつだ ゆうすけ」ってマジックで直書きしたゲームソフト。ソフトに名前が書いてあると、中古市場での価値は下がる。当然である。買った人にとっては単なる落書きか、もっと言えばかつて他人が使っていたことを主張する、生々しい痕跡なのだから。
でもこの人は、価値が下がるところに、価値を見出している。誰が見ても無価値というものでも、当の「まつだ ゆうすけ」にとっては価値があるはずなのだ。ゲームソフトに興奮した時間や、一緒に遊んだり友だちの記憶を内包する、貴重な思い出の品なのだ。こういう発想の転換ができる人は心底、素晴らしいと思う。
ところでこの返還活動。世の役に立つ仕事かというと、微妙な当落線上にある。もちろん害をもたらすことはないが、取り立てて社会的意義があるとも言えない。強いていえば、「ギリ役に立つ」くらいだろうか。
「ポケモンスタジアム金銀」(NINTENDO64)は元の持ち主の兄から連絡をもらい、確かに弟のものだったと確認できた。ただコンボイもポケモンも「ゲーム機本体がないので要りません」。そもそも要らなくなったから手放したケースが大半のようで……。(記事より)
実際、記事の中でも、今のところあまり役に立っていないさまが正直につづられている。でもきっとこの人は、ある程度のムダをよしとしながら明るく前向きに取り組んでいるのだろう。大勢の人に届かなくてもいい。たくさんのムダの末に、いつか奇跡的な再会があればいい。そんな風に考えているのではないか。
役に立たないことに堂々と取り組める世の中はいいものだ。ムダな遊びは、社会に余裕があるかどうかのバロメータの一つかもしれない。一方で世界はいま着実に余裕を失っているわけだけど、余裕がなくなりつつあるこの世界に抗うべく、俺もギリギリ役に立たないことにゆるく挑戦し、情報発信していきたい所存である。
ちなみに日経新聞の最終面の文化欄は、定期的にへんな人を発掘してくるのですごい。ドールハウスをつくるおじさんとか、航空会社のノベルティを集めまくるおじさんとか。日本を代表する経済新聞が、商業価値を失ったゲームソフトの話をこれからもしてくれるようなら、案外まだなんとかなるのかな。
名前入りカセット博物館
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